今日は荒れに荒れているヒノです、どうも今晩は。
一人称は「わたくし」などではありませんので、まぁ、別人格だと思ってテキトーに流してやってください。
あと、罵詈雑言と暴言多すぎなんで、「そんなのイヤン!」って人も見ちゃ駄目。
自主規制で。(にしても最近規制が多いな)

今日は3月14日なわけで、製菓会社もウハウハなホワイトデーであります。
私はバレンタインデーに対して交流もないクラスの人間にあげて、すこしはお返しを期待していたクチであったわけですが…。

あのアマ共、一つも返してこねぇ!#

くっそ、なんすか、それ。
つか、お前ら友達にあげてといて俺には無しですか!?
ってか、あれか!?あげたこと忘れてるんか!?それとも俺を無視してるんですか!?

……あ゛ー、貰えないんだったらあげるんじゃなかった…。
いや、こういうことを言ったらあんまりいくない事なんだけどさ、こうも空振られるといい加減腹立たしくもなる訳で。
てめえら、義理堅くないのかと。ほんと、問い詰めたかった。
俺の苦労を返せばかー!
(一人だけ別のクラスの子がくれました。ちょ、救われた…)

これで別のやつらと「わー、きゃー」言ってるかと思うと、マジでムカつく。けしからん。ついでに成績も上…。
って。

ちょ、俺が惨めじゃん…orz

(そして私の受難は続くわけで)
途中。
数学の問題を当てられて、心臓痛くなった…。
あと頭痛。久々に偏頭痛。
未だに直らん。
(まだまだ続く)
掃除の時間は誰もやらねーし。
いや、もう、お前らほんとに………(我慢の為所
糞だ!勉強できても人間できてねぇ!だから嫌なんだよ1年A組は!

………それにしても、俺って本当に駄目なやつなんじゃないかって、そう思うんだよな。
なんっていうかさ、どうでもいい会話についていけないというか。
ナンセンスなものに興味がわかないっていうのが一番大きいところであるわけで。
でも誰かに理解してもらおうとか思う寂しがり屋なわけで。
でもたまに突き放してみたくなったり、隣のカップルの仲を裂いてみたくなったり、泥沼の愛憎劇を見てみたくもなるわけで。
この二面性はとても好きなところではありますが、現実に生活をするとこの上なく苦労するわけであって。
しかも無駄に暗い方向に走り出す(盗んだバイクで走り出す〜♪)から、陰湿なことは出来るわけで。
いや、実際はやらないけど。それほどみんなは悪い人じゃないし。策もめぐらせないから。
けどどこかの心理テストで「牡丹と薔薇」のいじめっ子役ほどの意地悪さとか出ちゃったし。
ちょ、俺…みたいな。


(ここには抜いた文章が収まります)

でも、まぁ、どうせ明日になれば忘れてるんだろうな。
最近、記憶がどうにもあやふやで困る。
あったことなのか、なかったことなのか、区別はつくけど…。
一度だけ、本当にわからなくなったことがある。
その内容はたいしたことじゃなかったからよかったんだけど、今でも夢か現だったのか、わからないままだ。
ヒドラさんからバトンが来たので、やってみたいと思います。

問1.起きてまずはじめにする事は?

・んー、携帯のアラームと目覚まし時計の音(が同時になるのですが)を間違えて、時計のスイッチをONにしたりOFFにしたり。
完全に寝ぼけてやる所業。

問2.これだけは欠かせない日常的な事は?
・やっぱ、妄想(カオス)でしょ。

問3.好きな食べ物3つ挙げて下さい。

・牛タン、ハラミ、ビビンバ!

問4.嫌いな食べ物3つ。

・しなびたポテト、クラムチャウダー、魚の皮。

問5.あなたが踏まれたくない地雷は?
・自分の価値観やね。

問6.ここ1週間で嬉しかった事は?

・現代文のテストが平均だったこと。レベル低…

問7.ここ1週間で悲しかった事は?

・テストの大半が散々な結果に落ち着いたこと。もう少しがんばれよ、自分。

問8.今使ってるシャンプーとリンスは?

・アジエンス。何かと挑戦的なキャッチコピー。

問9.お風呂でドコから洗うタイプ?
・左腕のひじ下から。

問10.あなたにとって恋愛とは?

・priceless.っていうかむしろ奪略

問11.恋愛では、手のひらで転がすタイプ?転がるタイプ?
・転がるな、絶対。

問12.あなたの長所は?

・責任感とか思慮深いとことか、意外と人のことは考えてたりとか

問13.短所は?
・頭が固くて融通が利かないところとか気まぐれなところとか危険思想なところとか暗いところとか口が滑ると毒を吐くこととか無愛想なところとか気が利かないところか独りよがりなところとか向上心がないところとか…。
キリがねぇ。

問14.あなたを動物にたとえると?
・蛇

問15.あなたの弱点は?

・希薄性、脆いしな。

問16.寝る前に必ずする事は?

・もーそー

問17.リラックス、ストレス発散の方法は?
・も、もうそう…

問18.一番好きな季節は?
・春。花粉さえなければなぁ。

問19.好きな香水、思い出の香水、毎日つけてる香水は?
・あるけど、名前なんて知らない。

問20.バトン回す10人。

・朧さん
・チャカさん
・月子さん

10人なんか…、10人なんか…。

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ってなわけで、今日の日記の始まりですね。

以前の日記にも私の感情っていうのはかなり一過性が強いものだと言うことはそれとなく書いてありますが…。
まぁ、今回のテストでもそれが遺憾なく発揮されて、自分でも「どーすんだこれ」みたいな状況に陥っています。

まぁ、ある意味便利な機能でもあります。
基本的に、引きずらなくなるわけだからなぁ。
でも、それが物事すべてに良いかといったらそうでもないわけで。
今回のテストに至っては勉強の熱意さえ一過性。
勉強したくない気も合わさって、この上なく強し。

終わったら終わったで、復習しようとしないし。
もー、これどーすんだよ…。
一応ゴチみたく肩は叩かれていませんが、いろんな意味で2年生を気分よく迎えることが出来なさそうですよ。(っていうか、春休みに宿題がある時点でもうつまんね)

こんな状態だと、塾にも入るわけで。
ま、仕方ないっすね。
一年の数学だけでも復習せんと、大学なんていけっこないし。

でも、どうですか、大学。
私は普通に進学するもんだとばかり思ってたんですけど、いろいろあるうちに「大学進学は本当にするべきなのか?行く意味があるのか?」っていうような自問自答を始めちゃった訳ですよ。
進学して良かったかどうかっていうのは、後の人生にならなければ感想を持てないわけですから、今から考えてどーすんだみたいな気がしますが…。
私は作家になりたいので、大学はあまり必要がないのではないかと思っているのですよ。
(だからってあまり具体的な活動はしてない…。自分…)
それよりか、モノ書いていたほうが楽しいし、苦にならないし。
でも進学して今しか出来ない体験をするべきなんだろうし。
いろいろ、悩みますね。

でも私は基本性格が一過性なので、どうせ適当な答え見つけて終わってしまうんだろうなーと思います。
あれば麻薬。人を堕とすだろう。

ネトゲの話だ。これからネトゲをする人をとめるサイトがある。
今回はそういう話をするわけなんだけど、私の話はそれだけで終わらないかもよ?

そのサイトというのは、趣旨がそういうことで開設されたわけだけど、様々な体験談とか狂気が滲み出ているような話とかあって面白い。
興味があったら一度見てみるといい。あのサイトには壮絶というか、これが娯楽なんだろうかっていう現実がある。鳥肌がたつよ。

その中にとある女性とその友達の話があるが、人がいかに変わるかというのがまざまざとある。
引きこもりになって、外に連れ出せば足を揺らして箸の袋をいじくり、調味料を手に取り手に取り。
子供のなす事をするそうだ。精神的に退行しているのだ。
女性は昔の彼女のことを覚えているが、今とは全くの別人だったという。

またある投稿では、いろいろと。

今日は世界一受けたい授業で、100年後の人間の顔の形が想像されていた。
今より顎が長く細くなるのだ。
100年ったら、私らがぎりぎりで生きていられる月日かも知れないね。
でもその頃には、義手や義足から派生した義体が存在するんじゃないかって、私はそう思う。
というのも、「攻殻機動隊」っていう映像作品があるんだけど、その中にサイボーグという、今では想像でしかない人が存在している。
その年代は2030年ぐらいなわけだけど、夢ではないと思う。
昔、アメリカで目の見えない人がいたのだが、彼は手術で脳に直接電気信号を与えて、それで映像を見るということが出来た。
直接電気ってわけだから、頭に顕微鏡の筒みたいなのを埋めて、まるで車の排気口みたくなっている。
けど、物は見えている。

別のところでは、耳の聞こえない少年が、耳の組織であるうずまき状の器官に細い管をいれて、それで音を聞いていた。
音は劣化が生じていて、母親の声は魔女みたいな声だと言っていたが、本人はとても嬉しそうだった。

ロボットも走ってる。

将来、本当に人工で人間の体が作れるんじゃないかって、思えてくる。

でも、自分の肉体が(脳まで…電脳というのだが)作り物になってしまったら、自分は作り物なんじゃないか?って疑いを持つようになる。
(この話は上の作品の映画でも描かれている。)

鋼の錬金術師のアニメでも、弟君が自分は作られたんじゃないか?っていう疑いをもつところがある。

みんなは自分を何だと思う?
ぃや、そもそも、自分を定義しているのは何だと思う?

私は、周りの反応とか、自分の見てるものとか、記憶とか、そういうものが自分を定義しているんだと考えているわけなんだけれども。
しかし、これというのは、作ろうと思えば作れるわけで、じゃあ自分って結構存在が不安定だなって思わない?
…ちょっと違うかな。
自分を定義しているものは、自分たるものだと、そういう風に思うのかな。
自分が今まで通ってきた道、関わってきた物、者、脳に刻まれてきたもの、未来。
そういうのを、自分だとするのだろうか。(作ろうと思えば出来るわけだけど)

しかし、確固たる自分というのは、問われてみるとあやふやなんじゃなかって、そう考える。
ただ、確固たる自分を定義しうるものがあるとするなら、精神―――魂なのではないだろうか?(攻殻の世界ではゴーストと呼んでいるが、多少意味合いが違うようだ)

精神だけあれば、どんなに体が違っても、自分だと言える。
のか?

でも、これも、作れてしまうのだろうか。

じゃあ、私はどこに?ってなると、飽くなき哲学の道があるわけだが。


そういえば、心理的作用って、すごいらしいね。
魔術なんてのも、実はそういうのを利用したやつなんだそうだ。
とりわけ、呪いというのはそういった効果が強い。あると思う人、疑うことを知らない人、なにかと信じやすい人、は、そういうのにはまりやすい。
自分にいろいろかける時も(まじないとかも呪いの一種だとか)、自分にそう信じ込ませることによって、効果を出すのだそう。
自分にかける場合は、忘れて、その効果を深層意識の中に刷り込んでおくことが重要なわけだが。

そういうメカニズムを知っている人間は、簡単には惑わされない。宗教とかも、そういう面がある。

ただ、今言われている呪いやまじないなんかは、ただそれだけのことなのか。
のろわりてぃ相手に起こる不幸な出来事はただの偶然なのか?
それは定かではない。

にしても、よもや、今の話だけが全てだとは思われないほうがよい。
私は、非科学的なものも、それが不幸を呼び起こす(あるいは幸運)とも、思っている。
夜中2時頃の静けさは、ゾクゾクするね。

そういや、人間に必要なのはなんだと思うね?
ある実験があった。
人間は本当にぐうたらで生活できるのか、っていうやつさ。
被験者は、一日ちゃんとメシ食って寝るだけの生活。
それでお金がもらえるっていう、夢のような生活さ。
最初はみんな意気込んで、がっぽり稼いでやるって。

でも日がたつにつれて、脱落者が出始めた。
理由を聞くと、「退屈で死ぬ。どんなに安い金でもいいから、働きたい」とか「もう不満を言わないから、今までの生活に戻りたい」だとか。
強者も次第に弱ってきて、試しに一人にラジオ、一人に電話帳、などを与えてみた。
株式しか流れてこないラジオを聞いていた被験者は、株式の名前を完璧に覚えたらしい。
電話帳の被験者は、ものすごい勢いでページの内容を覚えたそうだ。

つまり、ぐうたらで何もしないけども出来ない生活で、人は生きていかれない、と、そういうことだ。

要するに、「何かを消費するか、生産するかしないと、退屈に殺される」と、そういうわけだ。

時間をただ単純に浪費するだけでは、駄目だとか。

最近、私は何も生産していない。というか、消費ばかりしていて自己嫌悪なのだ。

でも、とかく人は、消費だと大得意になって消化していくわけだが、生産となると、どうにも上手くいかないものである。

何のために生きるかと問われれば、“消費があって生産があるから”と言うだろう。
しかし、消費だけの人間ははっきりいって××××だろう。

考えてみたことはあるか?
何故最も優れた精子が選ばれて人が生まれてくるのに、一部の人は誰かを殺し、また一部の人は誰かに迷惑をかけ、また別の一部の人はニートになって社会を圧迫するのか?
なんともおかしい話だとは思わないかね?
だってそうだろう?
選ばれたエリートで、人は生まれてくるのに、××××奴が出てくるのだ。

生命の神秘。
人が神の子というなら、どうして不完全で生まれてくるのか。
私は不思議で仕方がない。

いつか、完全なものになるために生まれてくるんだらうか。

人間の脳は大まかに2層に分かれている。本能と理性だ。
理性の方は、大脳シンピシツとかいう。

例えば、サッカーをしたとしよう。
相手は敵である。敵地で戦うことを、アウェーとか言う。
飛躍が凄まじいのを許して欲しいが、相手が敵なら、いちいちボールなんぞ蹴らないで、××してしまえばいい。
そういってしまうと、身も蓋もないわけだが……。(そもそも球技の意味がない)
人には理性があるために、そうやって面倒くさいことをして、決着をつけるわけだ。
たまに荒いプレーをする人がいるが、そういうのは大抵、「人格」とか「お国柄」とかで片づく。

そしてお互い、握手とかして、終わる。
こういう平和的な行為が出来るのは、大脳シンピシツのおかげなんだとか。

薬中の人が、最悪、人を殺すのは、脳が萎縮して大脳シンピシツが減少して、本能だけになるからではないかと、私は考えている。
本能だけでは、人は人でない。
自分に危害を加える者からは逃げるか、やるかの、どっちかしかなくなる。
薬中で妄想が見えるから、面倒くさいことになる。
ついでに知能が残っているから、ただ殴るとかではなく、武器を持ち出す。
だから、あんなことになるわけだが。

でも今時代、理性がなくならずに考えられんことを起こす奴は多いものだ。
何がそうさせるのか、いろいろあるわけだが、彼らはどうやらリアリティを求められずにはいられないようだ。

しかし、私もいろいろ思うところがあって。
実際こうして表してみたのだが、どうやっても自分の考えてきたことの半分も出来てはいない。
そもそも、話がつながっていない。本来はちゃんと道理が合っていたのだが。
もはや、私の話が本当に分かるのは私だけではないかと、そんな考えさえ頭をもたげてくる。
実際はそんなことはないのかも知れない。
昔はこんなやたら小難しくて理解しにくいことなんか、微塵も考えたことなんてなかった。
そもそも、当時の私にはそんなことが必要なかったからだ。
無駄に思想が肥大化して、自分でも収集がつかなくなったからこうしてあとがきで締めようかとも思ったわけだが、なんだかグデグデに終わりそうな気がしてくる。

あぁ、そうだ。これは言っておかなければ。
私の話は忘れた方がいい。
というのも、私の話は自分ですら気持ち悪さを覚える、なんとも形容しがたい気味の悪いものがある。
これはあまり良い心境では無いときに発生したものだから、私自身を鬱にする。
そしてたぶんそれは、これを読んでいる人にも伝わるものではないかと、そう思う。
なので、すっぱり忘れて、今の楽しいことに目を向けた方がよい。

ただ、生産することを忘れずに。
消費だけでは、人間性が堕ちるから。

私?
私はこの文章をもって、生産とさせてもらうよ。
彼女は全て知っている。

タイトルに意味なんてありませんよ、えぇ。
ただ風呂に漬かっていたら浸かっていたら、ふと出てきたので書いてみました。
もう高校生やって9ヶ月になりますけど、未だに英文法が理解できない。
allのあとの名詞にsをつけてよかったのか否か。

ってわけで、はいはい、本題突入。

私は日記が書けなくても、いろいろネタは考えていますよ。
主に勉強している間に……。
ぃや、風呂と勉強とバイトの時間はすごいね。
退屈な時ほどいろいろうかぶもので。

科学の時間は「THE 文系か理系か」っていうお遊び的な心理テストを作ってみたり、家で自習している時はふとネタがうかんできて題名のレタリングとかしたり…。
おかげでネタ帳ならぬネタファイルが埋まりましたよ〜。っていっても、最初の方は暗すぎてうへぇ、です。
なんっていうかね、「あー、よく今までおかしくならなかったなぁ」っていうのが正直な感想なんですよね。

別段、誰がどういう時にどう変わるかっていうのはよくわからないし、大変な苦労をしてきた人にとって、私の体験っていうのは『屁』みたいなものかもしれないし。
けど、本人にとっては自身の体験は誰のもでもないわけで、「ほかの人はもっと大変」「自分の時は…」などと言われても、やはり共有など出来ないのではないかと私は思っている。※1

しかしながら、人間というのはそう強くないもので、言いたくなるなるんだよな、自分の苦労を、さぁ。
昔の紙に書いたメモなんかを見ると、「病んでるなー」って本当に思うよ。
今普通に生活していかれるのが、正直驚きさ。
でも普通でもないかも知れない。とも思うわけだ。
普通の定義というのが、かんなり曖昧だからさぁ。
いろんな人の体験談を見てみると、自分はまだまだ大丈夫だとか思うんだけど、本当の怖いものは、すぐ後ろにあるかも知れないよ?

※1 というのも、私は特異能力者ではないので、他人の人生なんかわからん。むしろ簡単にわかってたまるか。というのもあったりする。だってさ、自分がうん年、うんヶ月苦労したりするのに、その一瞬で何もかもわかられたくはないと、私は思うのですよ。

続・あとがきに続く

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読売新聞の「ドッポたち」という4コマ漫画が結構面白いです。

恐竜のドッポと、人間で小学生のみきおが日常の中で様々なことを通していろいろ思う話です。

作者の日常から感じ取る一面、切り口が鋭くて大好きです。絵もかわいいし。
ここで興味深いエピソードを一つ。

「なんで人間は戦争なんかするのかなぁ?」
「自分の中に倒せないものがいるからじゃない?」
「……みきおは時々鋭いことを言うね」
「え、そうかなぁ?」

っていうのがあります。

そのほかにも笑っちゃうところとか、考えさせられるところとかありますけど、ぎくってします。

読売とっている方は、ぜひ子供ページの4コマを見てみてください。
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続・あとがき兼最近思うこと

親父が新しく漫画本を買ってきたんですよ。
酒と肴のやつなんですけど…。
まぁ、絵はかなり下手なんですけど、自分より上手いから、良し(なんで偉そうなんだとかは、抜きで
内容とかも、まぁそれなりに面白いです。オチもあるし。

でも、作者の“語り”がページの合間に入るんですけど、それがなんだか…。
偉そうっていうか、何様なんだ貴様って思うんですよ(お前もだ
なんか、こだわりっていうか、なんか知らんが…。

ま、具体例を挙げなきゃね。
その作者は安っぽいパブとかスナックが嫌いなんだそうです。っていうのも、おつまみとかが向かいのコンビニで全部買えるもので、やる気がないとか、ビールは冷えていない(これはわかる)とか、パフォーマンスが歌しかないとか…。
私は未成年だからそういうこだわりとか分からんのですが、そこまで言うなら行かなきゃいいじゃないか!って思うんですよね。

あー、でもここまで語る私も自分で自分がウザイです。

ってわけで、私は自分のこだわりとか、思想とかを他人様に押しつけてはいないだろうかと思ったわけですよ。
私は、頑固ですからね。

なんか私がものを強く言っている時には、「あー、またなんか言ってるよ〜」とか思ってくださいね。

<私は無愛想だけど、思いやりがないわけではない?>
※1でだいぶひんしゅくを買いそうな内容を言っていますが、私はちゃんと話しは聞きます。
ただ、単純に……、簡単に「分かるよ」なんて言って欲しくないなぁ…って。ただ、それだけ。
みんな同じように苦しんでるかも知れないけど、その苦しみはみんなのものじゃなくて、個人のものなんだよね。
「みんな同じ」と言われて、
「あー、そうなんだ、みんなも苦しんでるだなぁ」か
「そうは言っても、誰も私の代わりにはなれない」って言われたら、
私は後者のほうですね。

周りが見えなくなっている時なんかは特に、後者の考えになりがちですね。
余裕が欲しいものです。
あぁ、なんか最近の更新が週一になってきて、どうしようとかって思い始めました。

調子が別に悪くもないのですが、金曜日と今日に胸がキリキリ痛くなりました。
たびたびこういうことがあるのですが、なんか意外ですね。
あまり思い当たる節がないので……。

さて、今日は家の掃除の時にかか様から「宝くじをわけて」と言われたので、160枚の宝くじを3種類に分けました。

そこでふと思ったことを書いてみたいと思います。
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宝くじとは、多くの人が一攫千金を求めて、当たらないこともあると知りながら買うものです。

宝くじの特賞なんぞ、何万本もあるうちの1本で、確率的に言えば何万分の一の確率なんですよね。
まぁ、前後賞とか、特賞でなくとも高額当選とかありますけど。

そしてある種、一攫千金という夢を求めて買うわけですねぇ。

でもなんだか、私は当たらないのがほとんどだという事実にみんな目をつむって、買っているように思うのですよ。
当たる人間なんて、ほんの一握りで、難関大学の難関な学部に入れる確率より低いかも知れないのに、どうしてこう、こぞって買うのかなぁ……と、思うわけです。

考えてみれば、宝くじを売るという商売は、あくどい商売なのかも知れませんね。
たくさん買わなければ100円も当たらない。……かも知れない。
運だめしという名目を利用した、金の荒稼ぎ……とも言えるだろうか。

別段、宝くじを非難しようとかいうつもりは毛頭ない。
そして現に、売店の人間は狭い箱の中につまって暑い日も寒い日も、そうやって売ってる。
売っている人間がみな、裕福ではないのだ。

私がそこまで考えて思い浮かべるのは、売店で店員をしているある家族のことだ。

縁起が良くなるようにと、機会があるたびに豪華な食事をするのだそうだ。
彼らは終始、宝くじを買う人間の為だと言っていた。

私の目にうつる彼らの食事は、おせちのようだった。
私は思ったものだ。
「あぁ、彼らは宝くじを売っているから、こんないい暮らしが出来るんだ」と。

とても羨ましく思えた。

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ある家族の話がある。

一家の大黒柱は外に女をつくって遊び呆けていた。
妻はまだ小学校高学年の一人息子を養うために、昼はパートに出て働き、夜は家事におわれていた。

ある時、息子は宝くじの売店の前を通った。
そしてこう思った。

「もし神様がいるなら、宝くじを当ててくれて、僕らの暮らしを変えてくれるかも知れない」

息子は少ない小遣いで、一枚の宝くじを買った。

――そして、運命の日は来た。

息子が売店に行って宝くじが当たっているかどうかを確かめると、

宝くじは、

5000万円という高額当選だった。

息子は喜び勇んで、母親にそのことを言った。

二人は押し入れの棚の中に、高額当選をした宝くじを大事にしまった。
もちろん、このことは二人だけの秘密だった。

「これで暮らしは変わる」

二人は確信していた。

――ある日、当選した5000万円を換金しようと、母親が押し入れを開けて棚の中を見てみると、そこには何もなかった。

母親は息子が持っているかも知れないと思い、息子に訊いた。
だが、息子はあの日以来、押し入れは開けていないという。

まさか。

二人には、ある一つの嫌な予感がした。

実は夫が宝くじの話を聞いていて、持ち逃げをしたのではないか、と。

不幸にも、二人の予感は当たった。

こっそり盗み聞きしていた夫は、二人が押し入れに宝くじをしまったのを見ると、それを持ち出して、愛人と一緒に逃げたのだった。
行方などつかめるはずもなく、二人は途方に暮れた。



そうして、家庭は崩壊し、一枚の宝くじは、二人を幸せにはしなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
私は宝くじが好きでも嫌いでもない。
ただ、仕分けをしていた宝くじの、輝かしい未来を描いたような絵を見ていて、

“宝くじは一体どれだけの人を幸せにして、一体どれだけの人を不幸にしただろうか?”

と、ふと思った。
出かけた先で160枚の宝くじを換金した。
2万円にもならない、割の合わない夢をみた。

手をこまねく招き猫はどこにでもいる顔をしていて、

「年末の宝くじがもうすぐ発売ですね」という売店の人はどこにでもいる、人の良さそうなおばさんで、

後ろに並んでいたベビーカーを押す女性は不幸ではなさそうで、

ラジカセから流れる間の抜けた販売用の音楽は止まることなく流れ続けて、

皆人、一体どれだけ、このことに気づいているのか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
私の目にうつる人々は、時々いろいろ言うが、本当に不幸だろうか?

基準は人それぞれだから私は何も言わないが、時々そう思う。
なんかしばらく日記書けてませんでしたが……。今まで何があったのかというと、パソが壊れてそれを修理に出して……。リカバリーしたものだからいろいろ設定とかいじってました。
日記のネタは形態携帯にメモっていたんで問題ないですけど、長期間更新出来なかったっていうのは…結構辛かったりして……ね。
いや、未だに書けてなかったりするのですが……。

最近はデスノ1巻を読み直して「今のデスノはどうなんだろう?」とか思ったり、はちクロ読んで吹き出したり、笑いをかみ殺したり…。でも時々ふと考えさせられる節があったりして、書棚の前で姿勢の悪い猫背で体育座りしていると「あぁ、私は何やっているんだろう」と思って…。

こないだで病院に通院するのが終わった。
考えてみれば、どうってことはなかったのかも知れない。
本当はどうでもなくて(どうということはなくて)、ただ、私が「病気でありたい」と、そう思っていたいだけだったのかも知れない。
あっさり終わってしまうと、「あぁ、こんなことなのか?」と、妙に納得できたり。

あぁ、そうそう。
昨日ジュンク堂に行って死化粧師の3巻を買ってきましたよ。2ちゃんねるとか覗くと、いろいろ賛否両論ありましたけど(三原ミツカズさんについて。掲示板の中でミツコツって言われているので吹き出してしまった。確かに、似顔絵がじゃがいもっぽいのか骨っぽいのかわからないキャラでしたが…。まぁ、そんなことは置いておこう)、個人的には好きですよ。
この人の著書はこの作品しか読んでませんけど………。
なんかね、いろいろ言い合っていたけれど、好きなものは好き。で、いいのではないのかと思いました。
最近忘れていた小学校時代のことを思い出して、「そういや、私はあの頃に誰が何を思っていたかなんて考えもしなかったなぁ」と考え込んでみたりして。
…当時(っても小5・6年)の私は結構担任の先生の手を焼かせたりしていた。
今から思えば、私は仲の良いグループの子たちから嫌われたくなくて、ほいほいついていった尻の軽い奴だった。
悪いことを「悪い」と知りながらそうとは言えず(内容は法に触れてないから安心して下さって結構です)、黙ってついていって…………。

ふふ……今の私が亡霊のようにその場にいたなら、一体なんと言ってやることだろう?

あ、少し脱線した。

話を戻すとね、「私は当時の担任の苦労も知らず、つるんでいろんなことをやったなぁ」と。そして、「あの人(担任)がどんなに苦労していたか、知らずによくもまぁ私は、お気楽な人間だったな」とも思うのだ。
別段、担任がどうこうとは思っていない。ただ、担任は苦労していたろうなぁ……と。
私がそう思ったのは、今の年になってからだ。
4年……。年をとってしまえばあっという間の歳月なのだろう。アテネオリンピックが開催されて、その次に北京オリンピックが開催される程度の、そういう年月だ。
大して重要でもない数字、でも誰かにとってはそれは大事な年月であるかもしれないし、そうではないのかも知れない。
私はこの4年、どう生きてきただろうか?
挫折と苦悩と絶望と、そしてその中で掴んだわずかな希望と…。
走馬燈のように蘇るわけではない記憶の中に、私は「自分は普遍だ」と思いこみながら、変化を恐れて、保守的に生きて……。それでも「人は迷わずにはいられない」と心の中で呟いてみたりして、いつかは自分も変われる瞬間がくるだろうかと思いながらも、私の意識は常に「死への憧れ」に向かっていた。
その姿勢は今でも変わらない。
でも、まだ「生きていたい」とも、思うのだ……。

私はこういう世界に生まれた。
私はその中で生きてきたし、この世界に生まれてきたことを後悔してすらいない。
よく、この世に生まれてきたことを悔やむ人がいるが、私はそう思ったことはなかった。
っていうか、考えたこともなかったなぁ。
私が思い悩むのは、「生きている事柄に関わること」で、生まれたからどうこう…ということはなかった。
いや、だとすれば私が今悩んで思い悩んでいることって「死んだら全部解決」ってことになるのか?

………いや、死ぬ気はないけどさぁ。

でも裏返せばこれって、ある意味生きていく意味なのかも知れないと思ったり。

そういえば、時々私は他の人の目からはどんな風に映っているのだろうと思うことがある。
同じ鏡に映った自信の姿を、他の人はどんな風に見ているのだろうか?
暗そうな人だなーと思ったり、なんだか要領の悪い人だなーと思ったりするのだろうか…。
でも私は誰にとってもただの“お嬢さん”でいいやとも思ったりする。
それ以上も、それ以下でもない、何の色もつかない人間で、いいから…と思うのだ。
自身の目に映る姿は時として、ひどく他人のように思えることもある。でもこれも私であって、私以外の誰でもないのだなぁと思うと、「じゃあ私を定義しているものはなんだろう?」って思考に落ちて。

思うんだよね、私と全く同じで寸分違わぬ下地を持っている人間が新たに生まれたとしても、私という人間が新しく出来るのか?…と。たぶん、答えは「NO」だろう。
私という人間は沢山の環境の偶然が重なり合って構成されているから、同じ環境同じ体験をしなければ“私”という人間は発生してこなかったろう。
全く同じ条件下にいても、私は果たして今の私になるだろうか。
まぁ、でも、こういうことって実際に存在してみないとわからんよね。

咄嗟に自分の名前が出てこなくなって、「あー、ヤべぇ〜〜〜〜………(危機感激薄。)」と思ってしまった緋のだったのでした。

まだまだ続くのですよ!

今日は家にいなくてはいけなかったので、家でネットサーフィンしてました。
……っても大学探しだよ?まだ1年生なのにねー。今から考えておかないと駄目なんだってさぁ。
で、なんとなーくネットで彷徨っていたら、死化粧師の最後に載っていた日本…えーとなんだっけなぁ……。せいたいなんとか…っていうホームページを見てたんですよ。

で、そしたら日本にもエンバーマーを養成するカレッジっていうのが存在しているようで……。ちょこちょこ調べてみたけど【募集要項:定員10〜20名】あれ……?【15名以上集まらなかった場合は開講を中止します】

お、おぉぉっ!?定員すくねえぇぇ!っていうか、そんなに集まらないのか!?
しかも思いっきり私立……。学費馬鹿にならんな…。


(ここまで9月30日の日記)
ふー、今日は文化祭の本祭でした。朝の7時30分集合だったのですが、見事に遅刻していつもの通常時間に登校した緊張感のないアホです。
っていうか、察しが悪いぞ私。

さて、文化祭が始まりまして……。
………、頑張ったよ、私。

終了





はやっ!(驚
何でこんなに少ない行数で終了するかというと、思うところが少ないから。
…何か思うことがあってもいいと思うけど、どうやら私には思うことが少なかったようです。


今日は『キーリ? 著・壁井ユカコ』を朝鞄に放り込んで、電車で読んでました。まだ読み始めだけど、キーリシリーズも終わりに近づいているんだなーと思いました。
最後はハッピーエンドな終わりになりそうな予感がしません。だって、登場人物たちの設定が……、結構厳しいからなぁ。
でも気に入っている作品なので、出来れば死人が出ても(まぁ、前から出てるけど)主役のキーリとハーヴェイには幸せになって欲しいですねぇ。

そして今日は、駅前のブックオフで『死化粧師 作・漫画/三原ミツカズ』という漫画本を見つけたのですが、アマゾンで5つ星を獲得している作品だったので、即座に立ち読み。(買おうかと悩んだのですが、一冊500円とは……。高いので諦めました。まぁ、元から買う気など無かったのですが)
内容はアメリカでは弁護士と同じくらいの地位を持つ職業『エンバーミング』を題材とした、すこし変わったお話。
この『エンバーミング』とは、遺体を生前の姿に修復し、遺族に遺体を綺麗に直して渡す仕事なのです。
日本ではまだまだ認知されていない職業なのですが、私は大分前からこういう仕事があるのを知っていました。名前や詳しい内容を知ったのは、今回が初めてでしたけどね。

それにしても、この『死化粧師』。話が“死”を中心に展開されていくので、読んでいくと切なかったりやるせなかったりします。でもその後は心が温かくなります。興味があれば、是非一度読んでみて下さい。
普通に泣けます。
いや、泣けない人もいるかも知れないけど、私は是非お薦めしたいのですよ。絵が独特なので、やっぱり読む人を選ぶかもしれないけど……内容もすこし大人向けですけど……、いいなーと心から思える作品でした。

そういえば……、ふと思ったのですが、小説って小さい子からしたら、ただの文字の羅列に過ぎない紙切れなんですよねぇ。
でも作家は言葉を紡いで、それを造り上げていく。人はそれを読んで、物語を理解していく。後には、心に感想が残る。どんな内容であっても。
私が作家になりたい理由……。たぶん、それは、私の物語に出てくる人物たちに、形を与えたいからなんだろうな。
それは私が文章で書くよりも、もっと愛情深いもの。言葉にすれば、「あの子たちに、形を与えるの」。
私が一人でも大丈夫なように。
私が、一人で自立して生きていけるように。
彼らや彼女に、別の世界を与えて――私の幻想で終わらせない為に――。
今になってみると、何もかもがその為にあったような気がする。
でも、今はものを書くことから遠ざかっている。部活用に作品は書き下ろしているけど……、私が本当に書きたいのはそっちじゃないからなぁ。
物を書く足しにはなっているけど、読んでトレースしてた方がマシになっているような……。
あぁ、もちろん、パクルんじゃなくて…。書く時の参考や、語彙の増加の為に読んでるんです。人生の糧にもなりますからねぇ。

あの時に死ななくてよかったなぁ、と、つくづく思う。
私の意識は常に死へ向かっているけれど、生にも執着する。
意識が闇に呑まれそうになった時に、その闇から声にもならない悲鳴の様な物を聞いた。人の声ではない、高音域の囁くような悲鳴。
聞こえた瞬間、意識が現実へ戻った。その瞬間に死への恐怖がわき上がってきて、「死ねない。まだ………死ぬわけにはいかないんだ」と思った。
そう思ったことに、理由はない。

だが、そうかと言って、私は生に強い執着もしない。

終わったら、そこで終わりなのだと。その先には、未来も希望もありはしない。
そこで私の人生は幕を閉じる。ただ、それだけなのだ。
15年私は生きてきたが、悟ってきたようなことを言う風なつもりはない。私はただ濃密な15年という時間を生きて、今に至っているだけなのだ。
……いや、濃密かどうかは、皆さんが日記を読んでみてご判断を仰ぎたいところですが。
……。
……………。

うーわー。うわぁ。
かんなり偉そうなこと言っているけど、別におごっているつもりはないのですよ!えぇ、決して!
これだけは言っておきます。言っておきますよっ。


なんか、思ったことをだらだら書いていたら、2000字近くなってしまいましたよ。
あ゛ぁっ、またコンタクトが張り付きやがってぇぇ〜……。

(そんなわけで、微妙な、いや、歯切れの悪い終わり方をします)
ふー、今日も関東は暑かったですねぇ。
今日は……、学校が始まって、課題テストが終わって(結果はもちろん惨敗であろうこと確実フ)、集会終わってHRも終わって……。
何をするでもなくだべりに電算準備室に行って先生と話しをしたり(だんだん常連になってるよな……、私)、学校を出て地下鉄に乗るところで部活があったことを知らされ、部長に詫びメールいれつつ差し入れ作戦を考え、渋谷の美容クリニックに行ってからヨドバシカメラ見て…。
気になるPCゲームがあるので池袋に戻ってからビックカメラパソコン館に寄って、店員に発売を確認して…。

そう、一通り終えた池袋の雑踏の中でふと思った…、というか、気付いたんだけど…。
前回の日記に記述してある“謎の声”(っていう名前を私が命名)は、どうやら私にある変化もたらしたようだ。
雑踏の中にいても、目が泳がない。いや、前は目が泳いでいたわけではなく、慣れていないという意味合いなのだが…。
まぁ、それはさておき。

前は人混みの中にいると、私が私でなくなるような…私の存在がかすれて薄くなるような気がしていたのだが、それが無くなった。
雑踏の中の私の目は据わっていて、きっと妙な暗い光を宿していただろう。

体感的に、自分の後ろ(というか、精神世界に)、また新しい何かが宿ったのだろう。
……いや、正直自分が何者かっていう疑念が浮かんでこないでもないのですが……。
私には、何かがあります。なーんかね、これだけは確信を持って言えるんですよねぇ。
“砕けた光”(前回の日記をご参照下さい)を自分が吸収する映像も出来てるし……。
私の日常は急に変化し始めたようです。前は澱んだ池の水の様だったのが、今は大海に流れゆく青い水の様です。
はっきり言って、どうした、私。(((( ;゜Д゜)))
今の自分の現状に、微妙な恐怖を感じられそうです。いや、マジで。
あぁ、最近こういうチウチウ吸う食品に頼ってばっかりだなーと思う今日この頃の緋のです。

薬局行くと安いんですよね、こういうの。コンビニとかの二割引きくらいで売っているような気がします。
まぁ、そんなことは小ネタとして置いておいて。

こういうのが主食になりつつあって、また体重が減少しました(照笑)
いや、実際は笑い事ではないのだけれど……まぁ、40?なら許容範囲でしょ。
実際、私の身長からしたらこれぐらいが普通な訳で。今までは無駄にお肉がついていたわけです。
だから、あまり良くない痩せ方だけど……体脂肪も減ってるから、個人的には結構嬉しい現象だったりします。
嬉しい……か、どうかは微妙ですけどね。(むしろ、嬉しいという実感はない)

そういえば、今日占いしたんですけどね〜、見事な当たりっぷりで、我ながら感心しましたよ。
結果? 簡単に申し上げると『集中力が欠けて身の入らない勉強で成績不振になる』です。
うーん流石私の占い。昔のことといい、深層意識といい、ツボを外しませんよ。
救いの手はただ一つのようで『やる気を出す』ことのようです。

………今やる気がなくてすごい困っているんだけどね(怒)

まぁ、神様が降りてくるまで待ちかなー。あー、頭が痛い。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今まで「苦しい」とか「疲れた」と口にすれば、それがもっと現実味を帯びて私に迫ってきそうで怖かったなぁ。

今もそれは変わらないけどさ。

今は受難の時なんだって。人間はさ、傷つくことを恐れ生きたがるけど、傷つくことも傷つけられることも、避けては通れないと私は思うんだよね。

そうやって、強くなっていくしかないんだよね。

私は今も苦しい。状況が何も変わってないし、宿題は3科目残ってるし。
高校生になってから、「ここ(竹○高校)へ来たのは間違いだったかな」って思うんだよ。
辞めてしまえばそれまでだけれど。
自分らしさが見つかるかと思ったけれど、案外そうでもなかったしね。

きっとさ、自分が必要としてるものって、他の場所には無いんじゃないかな。
そういう自分にとって大切なものって、自分の中にあるものなんじゃないかって、そう思うんだよ。
未来が、自分の手の中にあると言ったことと同じように。

小説の『人間に捨てられないものは無い』っていう言葉を自分の信念の一部に組み込んでさ。
そうなら、私も変われただろうにね。
信念は捨ててなんかいないけど、楽にはなってないよ。

むしろ自分らしさを失いつつあるんじゃないかって、そう思うの。
野心家だから簡単に自我を失いはしないけれど、このまま高校の勉強に引きずられて夢も何もかも失ってしまいそうだな――ってね。

言い訳かもしれないけど、今の言葉はさ。

逃げたいと思っているんだ。でも、どこへ行っても、私は私のままで。
今の状況から逃げおおせたところで、実は何一つ変わらないのよ。
気付いてるのよ、そんなこと。
だから高校も辞めるつもりもないし、留年はプライドが許さん。

私は不変だと思っていたけど、その時間もすこしずつ動き出して。
群像の中で動きを取り戻すの。
過去にこだわっていたいのもあるけど、人が「高校生活を楽しんだ方がいい」って言うから、私が昔を思い返す回数は減っていくのかな。

昔が良かった。
とは言わない。
間違ってもね。

でも忘れられない人も居て、大切に置いてきたものもあって、過去は消えなくて。
私に自信があったならば、もっとマシな状況で生きていたかもね。本を読んで、自信家の少年がすごくうらやましく思えたよ。
私にも、あれくらいの自信と誇れるものがあればなぁ、ってね。
私はいつの間にか自分が想像してた人間と変わってしまったようだ。
後悔はしても尽くせないし、時間は巻き戻らない。
現実とはそういうものだ。

私はそういう世界に生まれた。考える葦として生まれて…、受難の時を数年過ごし続けて、青春をそれで潰すんだろう。
なんとなく、そういう予感がする。

でも変える気があるなら、状況をマシな方向に変えられるだろう。
依頼心が強くて、誰かに頼りたくなるが……、こればかりは私の力で変えていくしかないのだ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
敷きっぱなしの布団の上でそう思った。

今日も勉強しないで終わったな。早くやる気がわいてくればいい。
どうも、お早うございます、緋のです。今は10時30分前ですね。

夏休みになってからも、習慣で6時〜7時の間に目が覚めてしまう緋のです。まぁ、寝るのも早いから、当然といえば当然なんですけど……。
たまーに5時起きとか、年寄りみたいな生活をしているので、この若さで一体これはどうなんだろう……と、微妙に不安(?)みたいなものを抱えて生活してます。

でも、これは放って置いても大してさしたる問題ではないので、どうでも良いんですけどね。

で、今日は7時30分頃から世界史の勉強をしましたよ。今で3時間未満ぐらいの勉強量ですかね。
本来ならもっと進めておかないとヤバイのですが、私は中国の同年代の人々より勤勉ではないので、ここでやめます。

ズムサタとかで、辛抱さん(字、あってるかしら)の新聞斜め読みとか見てると、本当に急成長をしている国の子供はよく勉強してます。
たぶん、“何のため”に勉強するのか、わかってるからなんでしょうね。
私にも何のために勉強するのかがはっきり分かっていれば、こういう苦労もしないで済むのでしょうけど……。けど、日本国じゃあそういうはっきりした目標を持って勉学に励む人間ってそう多くはないでしょうな。
事実、大学出たからといって社会で生きていかれるか分からないわけだし、なんか、今の高校生とかが『勉強のする“理由”がわからない』という訳を私は分かる気がします。

実際……誰も“何のため”に勉励するか――なんて、教えてはくれませんからね。
親父が言うには「社会に出て通用するためだ」と具体的な答えを出してくれましたが、それが当たっているかどうかはまた別のお話なわけで。
まぁ、私は進路希望が薬剤師なので(本心は作家だけど)、薬剤師になるために幅広く知識を吸収する必要があるわけですね。

だから、今は重荷にしかなっていない夏休みの宿題も、将来の為には必要なことなんでしょうね。重荷には変わりないけど。

ま、私はそのことで悶々ともだえ苦しんでいたわけですが、なんとなく答えが見つかったような気がします。
もちろん、作家になるのを諦めたわけでもなくて、今は暇を見つけてはパソ子に向かって文章を打ってます。
あと、読書も電車待ちとかの日々の合間を縫うようにして読んでます。
私は暇を大量に持て余した時に本を読むのは不得意なようで、何かのついでに本を読んでいます。

……だから駅で降り遅れるんだけどな。
ま、そうでもしないとその作家の特徴的な文章とか、言葉とか、トレース出来ないみたいで。
だから、合間を縫うように必死こいて読まないと、理解できないんだろうな。いわゆる、その時が集中力が倍増している時です。
でもなー、急いで読む部分もあるから、話の内容は朧気だったり(照笑)

ま、こんなんじゃ駄目よね。はぁー……。(遠い目)
暇を見つけたらなるべく読むようにしますよ。ちゃんと理解して、作品の感慨に浸れるぐらいに。
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リンクさせてもらってた方をお気に入りから解除しました。
今までリンクさせてもらってありがとうございました。
ここで見て下さっているかは分かりませんが、ここでお礼を申し上げます。
ありがとうございました!
唐突に日記を始めよう。

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私が“死”という概念について目覚めたのは4歳くらいのことだ。
いつ、どこで死というものを覚えたかは知らない。
ただ、大好きな保育園の先生が死んだら、二度と会えなくなる。そう幼心に考えて、布団の中で泣いたことがあった。
その時には両親が「どうした?」と尋ねてきたが、私はなんでもない……という風に首を横に振って答えただけだった。

人の死を考えたら悲しくなった。

ただ、それだけのことだったのに、なんで言えなかったのだろうと……今になって思う。

今日、母親から「あんたは子供らしからぬ子供だったよ」と言われた。
特にショックを受けるでもなく、笑い飛ばすでもなく、私は無言でその言葉を受け止めていた。
今になって考えてみると、その歪みが精神的にまいっている要因の一つなのかも知れない。
勉強から逃げ出したくて、ゲームやマンガに走る。
ガキのやることだ。(口調キツイですけど、物の例えです。不適切な表現で申し訳ありませんが、ご了承下さい)
けじめもつけず、すぐに逃避するのは、大人というものになりきれていない証拠なのかもしれない。

私は思った。
「あぁ、私はかけがえのない子供時代を、子供らしさを欠落させたまま駆け抜けたのだな」と。

子供時代を懐かしく思うかといえば、そうではない。
私に残るわずかな子供の頃の記憶といえば、朧気で、今にも霧散して消えてしまいそうなものばかりだ。
そんな記憶を寄せ集めて思考を、いや、感情か。を、巡らすと、後悔も何もわいて来やしない。
ただ、達成できなかった『希望』という名の光のようなものが、私の目の前にちらついたような気がした。

小さい子が「はやく大人になりたい」とよく言うが、ふふ……私も昔はよく思ったものだ。
そんな子に対して私が言いたいことはただ一つ。「子供には子供らしさがあるから、焦る必要なんかないよ。今は、子供であるということを楽しむ方がずっと良いよ」とね。

……そうじゃないと、あたしみたいなどっか欠落した人間になるかもね。

でもさ、あたしはこういう欠落した部分を抱えている自分は、嫌いじゃないよ?
思い通りに体を動かせない自分は好きじゃないけどね。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今日は徒然に思ったことを書いてみました。
最後は半端に終わってるけど、これ以上至上の言葉で言い尽くせないので、諦めました(笑)
なんか、タイトルからして人生に行き詰まった感を拭えませんね……。
どうもこんにちは。緋のです。

唐突ですが、独り言に専念させて下さい(つД`)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あぁー、自分ってなんて情けないんだろうかと、つくづく思う。
はにかんで終われるような情けなさじゃなくて、人の深い所に住み着いて蝕んでいくような、冷たい情けなさ。同時に、何も出来ない自分に対する不甲斐なさを痛感させられる。

そうだ、どんな場面でも、私はこの二つを痛感させられてきたなぁ…と思う。
そして“それら”は、私から自信を奪って、虚栄心で出来たやたら頑強なプライドを創りあげた。
そのプライドは、社会生活…いや――集団生活――の中に入っていくと、いつも邪魔ばかりをしていた。今も…そうだ。
よく、「プライドは低すぎても、高すぎても駄目だ」と人は言うが、私はこんなプライド(自尊心)は無くていいと思う。

だって『プライド×(自分の情けなさ+不甲斐なさ)→自己嫌悪』につながっていくんだもの。

断片的で静止画程度でしかない私の記憶の中には、いつでも完全主義者でいる自分と妥協点で諦めた私がいるわ。
そしてその記憶の続きは大抵――やりきれなくて、完全に燃え尽きなかった自分への自嘲につながっている。

一体いつからこうなってしまったのだろうかと、幾度となく自問自答してみたが、答えが出た試しなど、一度もない。

幼少の記憶……一番古いのは、3、4歳の頃のものだ。
一人で何かの人形を抱えて、保育園の黒板にもたれいる場面だ。俯いたまま、柔らかいピンクベージュの床が、涙でぼやけたように目に映っているのが記憶の一部。泣いているわけではなくて、たた単純に、記憶が曖昧だからそうなっているだけなのだ。
その次の記憶は、私が小さい教室の遠い所で遊んでいる子供達を、遠巻きにして眺めている場面だ。
……その時に私が何を考えていたかは分からない。分かることは、ただ一つ。
身を凍えさせるような黒くて冷たい感情が、私の中にあったという………。

ただ、それだけだ。

なんて皮肉だろうね?
私の最初の感情を持った記憶が、『孤独の記憶』だなんて。まるで、私は孤独と共に生きてきたということを、(ひょっとしたら、私は孤独から生まれ共に生きてきたということを)証明しているようなものじゃないか。
だが…私は常に孤独と共に生きてきた訳ではない。けれど、やはり私は孤独と共に生きてきている。
やがて孤独は人格を形成し……私の片割れとなった。感情を持ち、容姿までも創りあげ、負の感情をどんどん飲み込んでいった。

彼女は。
彼女は、私だ。私でもあり…、また私とは違う人物だ。
彼女は完全主義者で、妥協することを知らない。そして、自分の意志を貫き、傷つくことを恐れず、間違った道を進んだことはない。
しかし彼女は、表舞台に生涯立つことはないのだ。
私と彼女は表裏一体。
私が表舞台に立ち、彼女は私の背後についている。
彼女は助言もするが、私をあざ笑うこともある。
だが…それも当然だろう。

私は、完全主義者にも関わらず、妥協点を見つけてはそこに安住する。そして意志を持ちながら他者の意志の流れの中に身を置き、逆らうことは決してしない。
私は傷つくことを恐れ、間違った道を進みもし、無い物ねだりをし続けている。

彼女と私は共にある。いいや、彼女が居てこその私なのだ。だから、私は苦悩する。

……私の幸せとはなんだろうか、と。

私は何をしても中途半端で、完全に燃え尽きた試しなど一度もない。
一度くらい燃え尽きたのなら、何かを得ることも可能だったのかも知れない。
いや、ひょっとすると、私の幸せというのはその辺に転がっていて、私がそれに気がついていないだけなのかもしれない。
けれど、私には幸せを見つける“眼”を持ち合わせていない。
私の中にある混沌の中から一つの答えを引き上げるとするなら、『孤独を打ち消し、目に見える幸せを掴むこと』こそが……、今の私の定義だ。

だが、孤独を打ち消せば、私はそこに安住してしまうだろう。
私の中にある混沌は、私にとっての光であり闇だ。
無限の可能性を秘め、私に筆を取らせて「ものをかけ!」とかき立てるのだ。
私は幸せになってしまうと、この混沌を失ってしまうような気がしてならない。
だから、時々思うのだ。
『この混沌を抱え、あるいは、この混沌の中で生きていくことこそが、私の幸いなのではないか……?』と。

私は孤独を振り切ったことがないから、この考えを証明することは出来ない。
そして、孤独を振り切れるとも思っていない。
何故なら、孤独は私の始まりで、孤独は私を辿るルーツだからだ。
あの黒くて身を凍えさせるような冷たい感情が、気持ちが、私の延髄に深く染みこんで抜けそうにないからだ。

それに……。
私も手放そうとは思っていない。

そう思わずには、いられないのだ。
今日のタイトルはマザーグースの詩の一部です。響きがいいのでなんとなく書いてみました。
あ、今日変なこと書きます。自問自答なんですけどね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――自分の意志を貫いて生きるってことが、どんなに難しいか今になってわかったの?

うん。

――それで傷ついて、でも、それでもなお、そういう風に生きようとして、前に進んで……。結局、どうなってる?

傷ついたまま。何も。
…何も変わってないのかも知れない。
よく思うよ、「あぁ、あんたの言うことは、一つも間違ってないなぁ」ってね。

――そうでしょう。だってあたしは、本当のことを言ってるだけだもの。

うん。でもさ、斜に物を見てるよね。

――………。

何かに期待するのも、悪くはないんじゃないかって、そう思うんだよ。
傷ついてもさ、今まであんたや他の人たちが助けてくれたじゃないか。
だから、期待するのも、悪くないよ。
何も変わってないわけじゃないんだ。きっと。

――人は不変じゃない。不変のままではいられない。

うん。だから、変わって来たんだよ、ずっと。
同じ道を繰り返しているように思えても、同じ道なんてものは無かったんじゃないのかな?

――歴史は繰り返す。小さな人間の周りでさえ、そういうことが起こってる。それなのに、同じ道を歩いていないと思うの?

まあ、ね。
あんただって、最近口を出してこなくなったじゃないか。もう、あたしがいなくても大丈夫だから。ってさ。

――…………。

そうでしょ? 葉書が来てさ、あたしもちゃんと行動してるんじゃないかって。あたしは今現在、元気じゃないけど、生きてる。生きてるんだよ。
そんな道で宝物見つけたら、得した気分でしょ。

――そんな風に思うのね。5階の屋上の空から見上げたとき、自分が吸い込まれるような気がしていた奴が、そんなことを言うとはね。

手を引いてくれた貴方も、消えようとしてる。そしてあたしの中で生き続ける。
私と貴方は二人で一つ。
他の人は消えても、あなただけは消えないで、人格が一体化していく。
ううん。今までのみんなも、そうだった。
あたしの人格を形成してくれたわ。あたし…、紙に人格形成の形、書けるようになったし…。
すこしずつ、進んでる。傷ついても、支えてくれる人たちがいたわ。

――そう。わかってるじゃない。前は支えてくれる人たちが少なかったから、私たちがいたけれど、もう、そんな必要も無くなったのかしらね。
私も……、自分らしさを……。

うん。見つけていって。
いつか自分たちの経験が、宝物になって還ってくるように。人の痛みが、もっとわかれるように。
ちゃんと、自分の意志を貫いて生きていけるように。

時々思うの。
電車の中にいる人たちの中で、自分のやりたいように生きている人がいるのかなって。

――まぁ、少ないでしょうね。

うん。それでも……あたしは、生きていきたい。自分の意志を貫いて、なりたいものになれるように。

――よく、そんなことが言えるようになったな。まあ、成長したってことなんでしょうね。
私の助けが無くなるまで、あたしはあんたの側にずっと居るわ……。

うん。どうか、そうして……。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『ミュージックバトン』
Q1 今、パソコンに入っている音楽ファイルの容量は?
A1 わからないですよ、そんなの〜。容量減らすために、音楽ファイルは圧縮かけてます。

Q2 最後に買ったCDは?
A2 バンプオブチキンの「ユグドラシル」
   あのCDジャケットには秘密が…………!

Q3 今、聞いている曲は?
A3 アンダーグラフ「ゼロへの調和」です。二曲目が何かお気に入り。

Q4 よく聞く曲、 または特別な思い入れがある曲は?
A4 K(バンプオブチキン)
   HONEY(ラルクアンシエル)
   ……ぐらいしか……。思い浮かばないです。

私はチェーンメールやら、何やら止めちゃうタイプなので、興味のある方はご自由にコピペして下さいまし。

よし次、コミックバトン。

質問1:本棚に入っている漫画単行本の冊数
    最近売ったので、10冊程度かと。

質問2:今面白い漫画
    『DEATH NOTE』(集英社?)
    『はちみつとクローバー』(不明)少女系ですね。
    『B.O.D.Y』(不明)少女系です。

質問3:最後に買った漫画
    『きみはペット』(ベスト版ですた)

質問4:よく読む、または特別な思い入れのある漫画
    思い入れ……。ないなぁ。
    よく読むのは質問2の本ですね。

ここでバトンを渡すのをやめていいですか(つД`)
ここを見られた方がおられたら、是非ご自分の興味でやってください。
こういうの…止めたくなるんだよなぁ。
最近すごく暑いですよね…。なんか、早くも夏バテしてます…どうも今晩は、緋のです。

最近やりたいことと、やらなきゃいけないこととが重なって、どうにも葛藤を覚え始めてます。
っていうか、これを普通『充実』とか言うのかも知れないけど、私にとってみると『切迫』……(´д`;)

斜に物を見るってよく(頻繁に言われないけど、精神科の先生に…)言われるんですよね。文学少女(自称するのもあれですが)の私としては良い特質なのですが、社会で生きるには…もとい、日常生活を過ごすには厄介な性質だと思いますよ。えぇ。
まぁ、やりたいことがあるだけ、マシなんですけど…。

けれど、やりたいこと、したいことって、時間やお金を使うとは思いませんか?
私はゲーム好きで本も読むのですが、どれも最後まできっちりやるとするのなら、どれも時間とお金がかかるんですよね。
中古品やらなんやら探せば金銭面はどうにかなりますが……、時間だけは自分で作っていかないと、どうにもなりません。
現代文で、「自由と時間の関係」みたいな内容をやっているのですが、これをよく読んで理解すれば、すこしは私の考えているこの問題にも答えが出るのではないかと思うのです。

独り言:私はバイトが出来る年齢にはなりましたが、勉強しないと学が上がらないタイプなので…バイトに時間が割けないのが実状。
ということは、必然的に勉強に時間を割かなければなりません。休日も結局そういうことに時間を割いています。
「そんな毎日勉強尽くしなワケないじゃん〜」って思う人もいますでしょう。
えぇ、その通りなのですよ。

時間って、作れる一部分もあると思うんですよね。
私たちは大概、外にある『目に見える時間』を基準に生活してます。でも、その昔の生活に『時間』っていう概念はあまり存在していなかったんじゃないでしょうかね。
だから、昔の人は自分たちで『時間を作り出していた』んでしょうね。
太陽の動きで一日という感覚はあったにしても、時間を有意義に過ごす過ごし方を知っていたような気がします。
それが一見ダラダラしてるように思えても、『充実した時間』を過ごせていたとしたら……いいなぁ。

私はたったの10分をゴロゴロしただけで、「あ゛ー!また時間を無駄にしてしまったあぁっ!」って心中で叫んでるんですよ。
それは私が『目に見える時間』に縛られているからなんでしょうね。
これからは……自分で『自由に使える時間』を創り出して、日々を過ごせて行けたらいいなぁ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
今日は情報科の先生に「期間限定で水泳部に入れさして下さい」と頼みに行きました。
前に「プールで生死に関わる」の話の後、上の先生に「そういう人をうち(水泳部)は受け入れているから」と言われたので……。ついでに友人からも「5mしか泳げなかった人が25m普通に泳げるようになった」という話を聞いたので、「(これはなんて魅力的だろう(*´∀`*))」と思ったので……。そういう運びになりました。
最近は編集委員会と文学研究部(名前合ってたかな?)と水泳の特訓で、忙しくなりそうです。
あと、勉強ね。

そう、今日から期末テスト2週間前になったのですよ。これから色々と復習していかないと、またワタワタすることになるので……。
うぅーん……、何から手をつけて良いものか……。
今日は……体調は普通ですね。
・たまに気分がすぐれなかった。
・家に帰るときにまた、あの衝動があった。
と。

病院通いなものですから、記録しておかないと駄目なんですよね。

では、改めて。…今晩は、緋のです。
今日私はですねぇ、教室掃除を本腰いれてやりました。一人で。
別に「手伝おうか?」とか、中盤で他クラスの人が侵入してきて机を並べてくれたりしましたが、ほとんど一人でやってました。
大掃除ほどではないにしても、中掃除のレベルで仕事しました。
山羊座の性です。しごときっちり♪

でもなんで手伝いを断ったの?って疑問を持つ人もいると思いますけど、私には私のやり方があって、それを口頭で言うのも面倒くさいし、私のやり方では道具は足らないしで、結局「あぁ、いいよいいよ」て言ってお断りしました。
こんなんだから私は友達増えにくいんでしょうねぇ。まぁ、これは誰かに誉めてもらうためにやろうとか、頑張りを認めてもらおうとか、そういった社会的欲求のためにした訳じゃないです。
スピリチュアルカウンセラー江原さんの言う「愛」ですねぇ。
私がしたことは、私に返ってくるのですよ。悪いことは倍返し、良いことはそれなりになって返ってくるものなんですよね。
因果応報。
それが分かるようになったのは、いつ頃ぐらいかなぁ。

そうそう、現代文学[現文]のかわいい先生がマザーテレサのこんな話をしてくれました。
「憎しみの対義語は愛だとよく言いますが、本当は無関心なんですよ。憎しみを感じる相手には、まだ感情があるから、憎いのです。
本当に嫌いなのであれば、無関心になるのです。」
といった内容でした。
言われてみて、あぁ、そうだなぁーって思いましたね。
マザーテレサの言葉が全ての事柄に当てはまるとは言えませんけど、そういった面もあるんですよね。久々に良いこと聞きました。

そんな訳で、今日の日記は「哲学・宗教・幻想文学」に分類されます。
こんにちは。

テスト一日前だっていうのに、なんだか優雅な生活してます。……どうも緋のです。
最近ブログに書き込みが出来ないので、更新が不定期になってましたが……。情報科の親切な先生にいろいろ聞いて、解決策を模索中です。
今日はすこし危ないんですけど、ウイルスバスターを切って更新することにします。
…もともとウイルスとかには鈍いんですけど、まぁ、感染したら何のファイルだか知らずに隔離して消去です。
いざとなったら、初期化するか、自作にしようかなーって考えてます。

さて、今日は何のお話をしましょうか。
えーと、じゃあ、私の生活から感じ取ったことでも。

よく、「○○だから、あんまり」とか「○○なイメージがあるから、遠慮する」というのがありますよね。いわゆる先入観に捕らわれているってやつです。
私も一昔前(15ですが…)まで、そういうのが結構あったんですよ。でも、考えてみると、私たちが毛嫌いしている世界で生きている人々って、多いんですよね。
具体的に例をあげるとしたら、……今話題の電車男も自称する「おたく」さんだったり。人の好き好きなので、挙げる人物は違ってくるでしょう。私は、「毛嫌いする人、経験も無いのに否定する人」があまり好きじゃないです。
もちろん、体験した上で、体感した上で「やっぱり自分はダメだった!」というのなら問題外です。っていうか、むしろ偉い。
だけど、何もせずにその人のことを否定するのは、いけないことなのではないかと思うのです。
私の例でいけば……最初、今が旬の某・元ホストのピン芸人がいますよね。(旬って言ってはいけないか。)で、最初その人の芸を見ずに、理由もなく、つまらないからと言いチャンネルを変えていました。で、結局この人面白いよ!っていうブームが来る前にその芸人を見直しました。
某・元ホストのピン芸人には私の考えはなんら関わりもないでしょう。ですが、その芸人が苦労して「華の芸能界」と言われる世界に飛び込んだ。今まであったことをネタにして笑いを取るのも、心苦しいものがあったかも知れません。
にも関わらず、私は見ずにチャンネルを変えてしまいました。

…どうです、これ?
某・元ホストのピン芸人さんの苦労を踏みにじっていると言っても、過言ではないでしょう?
その道に進む人、極めた人、玄人は、自分のすることを人にとやかく言われるのは好きではないでしょう。
そして誰しも、自分のすることを否定されるのを好まないでしょう。
だから、私は未知の体験をしたことのある人を尊敬します。私には縁のない世界で、私には無い経験とそこから得た何かを持っている。
これは人と関わっていく上で、すごく大事なことなんじゃないかと思うのです。
相手のことを尊重して、その人の世界観を認めること。
これは言うほど簡単なことではないでしょう。でも、私は諦めたくないなぁって、そう思います。

私とは違う。私という孤人(こじん)と私ではない弧人が関わるとき、このことを覚えておきたいです。
私緋のは大抵お風呂場でいろんなこと考えてます。あと、寝る前とか。
不思議とどんどん話しが浮かんできて、結構面白いです。けど、私はあんまり物覚えが良い方ではないので、忘れるんですけどね……。
すっげーいい話とか出来た時に忘れるのは、現実でちょっとお金を落としたくらい落ち込みます…。マジックがあったら壁にでも書きたいところなんだけれども、借家な上に家族もいるので断念。(ついでにペンを持つと話しが抜けていく…)

そんなわけで、どうにか覚えている話を今日は書き留めておこうと思います。まぁ、今日は愚痴みたいなものですが、自分の日記なのでたまにはそうさせてもらおう。

私の心の中では溜め息ばかりだ。
部屋の中で一人いると、隙間とかから闇がどんどん迫ってくるような気がして。
そのたびに私は、“あぁ、このまま私は普通に成長して、普通な人生を歩むのかな。”って、そう思うの。
…人の人生に、そんなことがあってほしくはないのにね。
若い人には野心があるが経験はない。
年老いた人には経験があるが野心はない。
年を増せば増す程、経験を積めば積む程、人は年老い、若さを失う。
今の私にはそれが悲しいことのように思えてならない。
…だが。
自分からなにも行動を起こさないのに、どうしてそんなことを言えようか?
自分が何もしていないのに人から何かを得ようというのは、なんと愚かしいことだろう?
でも、どうして私は何もしないのか。
人は勇気さえ持てば、いかなることも出来るのに、どういう訳か、その一欠片(ひとかけら)の勇気さえも持たず、振り絞ることさえ出来ないのだ。
私の中には悪魔がいる。
臆病でいつもビクビク怯えているのに、本当は牙を剥こうと機会を窺っているのだ。
――いや、ひょっとしたら、私こそがその悪魔なのやもしれない。
昔話で、ねずみにおむすびをあげたおじいさんは、お礼に“うちでの小槌”をもらって帰った。だが、“うちでの小槌”ではなく、持ち帰った物を“思い出”と答えた人がいるという。
人が失うのは肉体的な若さや心だけではない。そんな簡単なこと気付くことの出来た目だ。
そんな簡単なことさえわからなくなり、気付けなくなった私は、一体どうしたことだろう。

最近よく思う。私は、盲目になってきたな、と。
小さいときに世界の秘密……いや、本質か、を、掴もうとしていたのに、今になってはその手に残るのは霞のような薄い答えだけだ。
気づけたことに気づけなくなり、いたずらに歳を重ねているように思えてならない。
このことを私は、つくづく悲しいと思う。
後編

信じる者は救われる。よく言ったものだ。
だって自分が信じた教えを忠実に実行するんだから、なぁ。

さて、孔子の話しと私の考えたことの続きですが…。
孔子は生前こんな言葉を残してます。「たとえ世間に認められなくとも……」政治をするも5年で終わり、弟子を連れて放浪をはじめる。
孔子は…、どんな世界を見たのだろうか。

思想家。時として考えを認められないこともあるが、思想を説いた人がもたらした影響はのちの世には大きいと思う。
彼が行ったこと、考えたこと…、それは無駄ではないと思う。

私はよく考え事をする。今はその時に、先人のことを頭の隅に置きながら考えている。
私の内には女神がいる。ひょっとしたら、人は内に神をもっているのかもしれない。キリストは、似たようなことを言ったそうだ。

弟子を育て生涯を閉じた孔子。志を高くもち、物事を行うことの大切さを感じる。
孔子……紀元前の方ですね。儒教はこの人がつくりました。
中国で弟子をとり、自分の考えを説かれた方です。古きを知り新しきを知る…という有名な言葉を残しました。
ちなみに私はテストで孔子を子孔(うしこ)と書いてしまいました。
気づけよ自分!って感じです。ナイス珍回答…フッ。

さて、今回は孔子の話しを聞いて思ったこと。緋のの思想SP新春バージョンでございます。
中身が薄いとか言わないでっ!

さてさて。
孔子は一度自分の考えを世間に広めようとした人だそうです。けれどその考えは受け入れられず、支持してくれる弟子をとり、のちに弟子が論語という文書(孔子の教えを書き留めたもの)を書きました。
その昔、韓国は儒教の国だったそうですよ。

それにしても…。
孔子の教えは的を得ているのに、何故か人々に受け入れられなかったんですよねぇ。人が信じる宗教が違うのは、考え方が違うからなんでしょうね。
とはいえ、なんだか大事なことなのに、受け入れられなかったのは切ないですね。
私が思うのは、宗教や教えって、そんなものなんだろうなってことなんです。

(後編に続く)
あー、随分と長い月日が経ってしまいました。本当に、何かあると時間が流れるのは早いと思うばかりです。

さて、3月1日に東京で都立高校の合格発表がありました。
まぁ、なんとか受かってましたね。順位がわからないので、一体テストがどのくらい出来たのかわからないところですが…。
なんにせよ。高校生になることが出来たわけです。

しかし、なってみて言うのもあれですが…。すごく嬉しいというわけでもないのです。それというのも、高校は中学みたいに勉強が易しいわけではないだろうし、新しい人まで来るわけだから、なんだかすごく前途多難なような気がします。
ここで人生なんか語っちゃったりすると、人生は一難去ってまた一難の繰り返しに違いないと思うのです。
たとえ大学を卒業しても、また新しい試練に皆が向かうのです。
そう考えるとなんか、手放しで喜べん。
…喜べよ自分。とかって思いますが、そういう性分じゃないのでなんとも……。
むしろ周りが私より喜んでいる気がします。

さて、この日記で仲良くしてもらっている方も、3ヶ月間いろいろあったのでしょうね。
私はこれからも続く限り日記を書くつもりでいます。
これからも、宜しくお願いします。

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