どんなタイトルやねん!とか自分で自分を突っ込んでみる。

まぁ、ちょっと泣きが入ったのは言うまでもないんだけど。

前回っても今日の日記なんですが、そこにいろいろ改革してみよう…みたいなことを書いたと思います。
で、今日担当の人から名称変更について聞いたんですけど、だめなんだと。

理由は「別に今のままでもいいと思う。活動内容が名称と全く違うのであれば考えるけれども、文研が文芸でも大差ない。アピールしたいのであれば、内容を充実させるべきだ」だそうで。
ついでに「こういうことで評議委員を集めるのも大変で、手順を踏んでいるうちに解散してしまうので」だと。

ぃや、じゃあ何のために評議があって、クラブ連絡会があんのかと。
私は「研究が主体じゃないし、今までとやることは一緒でも、内容が大幅に変わるから、名称も変えたいんだ」と言いたかったですよ。

………。
お役所仕事だなぁ、と。
一つも提案をくれないのね。
ぬるいかと思ったけど、意外と厳しいんだな。

活動を盛んにしたいから、ああしよう、こうしようって思うのに、なんでかな。
自分が頑張ってると思うから、ちょっと、空回りしているんじゃないかと思うんだよな。

なんか、久しぶりに、勉強以外での挫折感を味わった気がする。

こうなるとさ、自分だけなんじゃないかって、そう思うんだよ。
頑張ってるの、私だけ、みたいな。
ほかの人も協力してくれるんだろうけど、なぁ。
……一人で何でもかんでもやろうとしてるんかな。
もうちっと、根気よく申し立てするべきなんかな。

担当の人がちょっとむかついた。いやむしろ、私んこと嫌いなんかなーって。
いろいろうるさい一年だな、みたいに思われているんだろうか。
私がやろうとしていることは、どうでもいいことなんだろうか。
そのとき、なけなしの自信が殺(そ)がれて、ものごっつ凹んだ。

私が繊細だとか、マイナス思考だとか、そういうことは担当の人にはわからない。
でも、もう少し何かあったんじゃないかと思う。
言い方が悪かったわけではない。でも、理解してくれてなさそうね。


<注意>
こっから先、リアル知り合いはマジで読まないほうがいい。
読むんだったら、読んでもそしらぬ顔で過ごしてほしい。
何か言おうと思ったら、コメントで。

涙がでちゃうときにさ、私には頼る人がいないんだなーって、本気でそう思うよ。前もそうだった。
頼っていいと仰る方もいるが、私が納得しないのであれば、それは本当の頼る人ではないと思うのだ。
そうして、つくづく、悲しくなるのだ。
言ったところでどうにもならない、とか。そんな風に理由つけて、言うのを諦めているのだ。
書き付けると落ち着く。でも、同時に淋しくもあるのだ。1さんとかみてると、そういうことって無さそうだなって思う。1さんに限らず、多くの人が、だ。

頼る人がない。
私はそういうことをあまり考えないで生きている。
だが、こんな状況に置かれると、無性に淋しいのだ。
春の長雨も心には冷たい。

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