唐突に日記を始めよう。

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私が“死”という概念について目覚めたのは4歳くらいのことだ。
いつ、どこで死というものを覚えたかは知らない。
ただ、大好きな保育園の先生が死んだら、二度と会えなくなる。そう幼心に考えて、布団の中で泣いたことがあった。
その時には両親が「どうした?」と尋ねてきたが、私はなんでもない……という風に首を横に振って答えただけだった。

人の死を考えたら悲しくなった。

ただ、それだけのことだったのに、なんで言えなかったのだろうと……今になって思う。

今日、母親から「あんたは子供らしからぬ子供だったよ」と言われた。
特にショックを受けるでもなく、笑い飛ばすでもなく、私は無言でその言葉を受け止めていた。
今になって考えてみると、その歪みが精神的にまいっている要因の一つなのかも知れない。
勉強から逃げ出したくて、ゲームやマンガに走る。
ガキのやることだ。(口調キツイですけど、物の例えです。不適切な表現で申し訳ありませんが、ご了承下さい)
けじめもつけず、すぐに逃避するのは、大人というものになりきれていない証拠なのかもしれない。

私は思った。
「あぁ、私はかけがえのない子供時代を、子供らしさを欠落させたまま駆け抜けたのだな」と。

子供時代を懐かしく思うかといえば、そうではない。
私に残るわずかな子供の頃の記憶といえば、朧気で、今にも霧散して消えてしまいそうなものばかりだ。
そんな記憶を寄せ集めて思考を、いや、感情か。を、巡らすと、後悔も何もわいて来やしない。
ただ、達成できなかった『希望』という名の光のようなものが、私の目の前にちらついたような気がした。

小さい子が「はやく大人になりたい」とよく言うが、ふふ……私も昔はよく思ったものだ。
そんな子に対して私が言いたいことはただ一つ。「子供には子供らしさがあるから、焦る必要なんかないよ。今は、子供であるということを楽しむ方がずっと良いよ」とね。

……そうじゃないと、あたしみたいなどっか欠落した人間になるかもね。

でもさ、あたしはこういう欠落した部分を抱えている自分は、嫌いじゃないよ?
思い通りに体を動かせない自分は好きじゃないけどね。

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今日は徒然に思ったことを書いてみました。
最後は半端に終わってるけど、これ以上至上の言葉で言い尽くせないので、諦めました(笑)

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