私緋のは大抵お風呂場でいろんなこと考えてます。あと、寝る前とか。
不思議とどんどん話しが浮かんできて、結構面白いです。けど、私はあんまり物覚えが良い方ではないので、忘れるんですけどね……。
すっげーいい話とか出来た時に忘れるのは、現実でちょっとお金を落としたくらい落ち込みます…。マジックがあったら壁にでも書きたいところなんだけれども、借家な上に家族もいるので断念。(ついでにペンを持つと話しが抜けていく…)

そんなわけで、どうにか覚えている話を今日は書き留めておこうと思います。まぁ、今日は愚痴みたいなものですが、自分の日記なのでたまにはそうさせてもらおう。

私の心の中では溜め息ばかりだ。
部屋の中で一人いると、隙間とかから闇がどんどん迫ってくるような気がして。
そのたびに私は、“あぁ、このまま私は普通に成長して、普通な人生を歩むのかな。”って、そう思うの。
…人の人生に、そんなことがあってほしくはないのにね。
若い人には野心があるが経験はない。
年老いた人には経験があるが野心はない。
年を増せば増す程、経験を積めば積む程、人は年老い、若さを失う。
今の私にはそれが悲しいことのように思えてならない。
…だが。
自分からなにも行動を起こさないのに、どうしてそんなことを言えようか?
自分が何もしていないのに人から何かを得ようというのは、なんと愚かしいことだろう?
でも、どうして私は何もしないのか。
人は勇気さえ持てば、いかなることも出来るのに、どういう訳か、その一欠片(ひとかけら)の勇気さえも持たず、振り絞ることさえ出来ないのだ。
私の中には悪魔がいる。
臆病でいつもビクビク怯えているのに、本当は牙を剥こうと機会を窺っているのだ。
――いや、ひょっとしたら、私こそがその悪魔なのやもしれない。
昔話で、ねずみにおむすびをあげたおじいさんは、お礼に“うちでの小槌”をもらって帰った。だが、“うちでの小槌”ではなく、持ち帰った物を“思い出”と答えた人がいるという。
人が失うのは肉体的な若さや心だけではない。そんな簡単なこと気付くことの出来た目だ。
そんな簡単なことさえわからなくなり、気付けなくなった私は、一体どうしたことだろう。

最近よく思う。私は、盲目になってきたな、と。
小さいときに世界の秘密……いや、本質か、を、掴もうとしていたのに、今になってはその手に残るのは霞のような薄い答えだけだ。
気づけたことに気づけなくなり、いたずらに歳を重ねているように思えてならない。
このことを私は、つくづく悲しいと思う。

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